「文字」が見えなくなって「当たり前」の幸せを実感した話

普段、何気なく見たり読んだりしている「文字」。

僕たちの生活の周りにどこにでもありふれているもの。日本語という言語コミュニケーションを行う上で重要な存在であることは間違いない。

このブログで綴っているのも一部の画像を除いて、後は全て「文字」だ。

そんな「文字」が突然見えなくなってしまう経験をした。その経験の中で感じたことを書いておきたいと思う。

 

突然訪れた視界の異変

これまで目に関連した病気症状は全く経験したことはなく、両目の視力も1.5というのだけは取り柄。

ブログを書くにしろ、スマホをみるにしろ、眼鏡もコンタクトレンズも装着せずに裸眼で何ら問題なく認識できている生活を送ってきた。

 

先週末、ブログを更新しようとPCを前に作業していたところ、突然視界に異変が訪れた。

 

両目で見る視界の中心部には何やら残像のようなものが高速でフラッシュ点滅して光っている。

決して、PCのディスプレイが誤動作したわけではなく、僕の目の中にだけ起こっている症状。

例えるなら、日中照りつける太陽を数秒間みてしまったあとに起こるようなあの現象だ。経験がある方も多いのではないだろうか。

通常5分くらいで収まる症状だと思うが、この日はこの状態が酷く続き1時間ほど同じような現象が起きていた。

 

当然ながら、PC画面をまともに見続けられる状況ではなく、目を休ませることに。

 

1時間が過ぎ、ある程度収まってきたものの、まだかすかに光の残像が残っているような気もする。

家族に相談したところ、念のため医療機関を受診した方が良いと激しく進められたので、眼科へいくことに。

 

検査のために投薬した散瞳薬の効果

眼科で告げられたのは「光視症」と呼ばれる症状。

これは全く重い病気でも何でもなく、強い光が目の中にある網膜にあたったときに起こる至って一般的な生理現象である。

ただ、加齢とおもに起きうる「網膜剥離」「網膜剥離裂孔」の前兆症状として「光視症」が生じる場合もあるとのことで、念のため「眼底検査」を実施した方が良いと進められた。

その「眼底検査」で行う際に目に点眼する「散瞳薬」、これが中々のクセモノだった。

薬の効果により強制的に瞳孔を開かせることにより、目の中を検査するためのもの。

瞳孔が常に開いた状態となるため、「まぶしく感じる」「ぼやける」「近くの文字が見えなくなる」などの症状が数時間程度続くというものだった。

 

もちろん検査するためには必要なものであり、こちらも検査を受けたいと申し出ているため、この症状に対して事前に了承しているわけだが、正直不安に思っていた。

点眼後15分程度すると、すぐに症状が出始めた。

症状を説明するための配布用紙に書かれた文字が全く見えない。

iPhoneの画面を見ても全く文字が判別できない。僕の視界では以下のようなイメージだ。

色はわかるが、書いてある文字はさっぱりとわからない。

iPhoneと目の間の距離を変えて必死にピントを合わせようとするが全く効果なし。

加えて、室内の照明をかなり「眩しく」感じる。目をかすめたくなるほどだ。

 

眼底検査の結果は、網膜剥離などの異常所見は見られず至って良好とのこと。

光るようにフラッシュがしばらく出続けた「光視症」は一時的なもので様子見で良いという結果で一安心した。

 

しかし、薬の効果は検査後も数時間は続く。

こうして「眩しい」「文字が全く見えないが全く見えない」という世界に僕は入りこんだ。

 

当たり前という幸せを感じた

我々の周りにはどこにいっても当たり前のように「文字」という表現方法で溢れかえっている。

スマートフォンで通知を確認するにも、SNSを見るにも、サイトを読むにも「文字」を必ず閲覧する。

このブログも構成しているのは、僕自身が考え書き出した「文字」

新聞や書籍も「文字」の塊だ。

 

いくら読もうとしても「文字」が見えない。

数時間の副作用かもしれないが、何だか絶望的な気分になった。

 

当たり前のように認識できていた「文字」を、どんなにあがいても認識できなくなった瞬間、「文字」のありがたみを強く感じた。

「文字」は「文字」でしかない。

しかし、ただ起こっている事実を伝えられるだけでなく、書いた人自身の考え方や感情をも伝えられるのが「文字」の醍醐味。

その「文字」が見られない状態というのは、大げさかもしれないが、言葉を失ってしまったようにも感じるほど。

特に、毎日こうしてブログを通じて「文字」を書き起こしている自分にとっては恐ろしく感じるほどの現象だった。

 

初めて「文字」が読めるという当たり前の状況に感謝しなければいけないということに気付かされた。

 

一晩明けて僕の目は正常な状態に戻っている。

正確に「文字」を読めるし、視界がぼやけるようなこともない。

普段当たり前のように認識できている「文字」の世界。

この当たり前の世界を自分自身の大きな「幸せ」であると感じることができた。

 

人はなくなってからコトの大切さに気付くというがまさにその通りだ。身を以て実感した。

これからは「文字」だけでなく、身の周りにある「すべての当たり前のこと」に感謝し、大切にしていこうと思う。

常に感謝する心を忘れずに生きていこう。

ABOUTこの記事をかいた人

30代2児の父。 幼少期の子どもと過ごす時間を大事にしたいとの思いから激務であった建設業界を離れ、現在は田舎でワークライフバランスをモットーにした生き方を目指しています。